昭和50年 (月日不明)             テープ№

                       中村良一


 甘木の初代の、安武先生が、吉井の教会の、ある記念祭の時に、沢山なお参りと同時に、特別来賓の、町長さんとか、町会議員さんとかという、招待がしてあったんでしょう。だから、今日こそ、まぁ、今の合楽の言葉で言うと、合楽示現活動をせにゃならんと思うて、お説教台の上に、前に立たれたところが、もう、ぎっすりお話が出なかったと。それで、神様にお詫びをして、神様にお話をさせて頂かなければ、安武松太郎で出来る事ではないという事を知ったというお話を聞かせて貰った事がありますから。もうこれは、本当に、そうですね。話が上手の先生なんかは、色々勉強しておられたり、本を読まれたりしておられますから、見事にお話されますけれども。その話では助からんのですよ、やはり。話は、例えば、下手であっても、教養はなくても、幼稚な話であっても、やはり、神様からね、その先生の頭脳の程度に、神様が現れなさって、そして、話させて下さるなぁと思うお話でなからなければ、人が助からんです。ですから、そういう意味でね、私は、合楽の場合は、もう何時の場合であっても、大坪総一郎が話しておると思われませんです。ですから、言うなら、そのくらいなものですから、結局、ほんなら、それでも、頂くほうの側がね、それを吸収し得なかったら、やっぱ、おかげにゃならんという事です。ですからね、まぁ、夕べから今朝にかけて、それこそ手前味噌のような話ばっかりの様に感じるんですけれども。私は、もう本当に、おかげ頂かせたいばっかりで、本当の事を神様が言うて下さっておるという感じがするんです。
今日はあの、宮の陣の教会、秋山さんのお導きで、轟さんちいうかね、そちらからお参りをしてきてから。今朝のお話を、そのまま、具体的に、その人が頂いておる教会の事で頂いておりますからね。いかに、私のお話が、如何にも、合楽じゃないと助からんごたる言い方をすると。それは、大変聞き苦しかったり、また、私も、あんまり好かんのですけれども、そういう話になってくるんです。今日の話もそうです。あの、いうならば、安武先生ですら、自分で話そうとなさっては、話が出来なかったと言われるようにね。こら、私の場合も、それを、何時も実感します。ですから、結局、神様が話させて下さる話ですから。こちらに、吸収力があり、本当におかげ頂こうと思うたら、絶対、合楽の御理解は、おかげ頂く御理解。内容を持った御理解なんです。ですからその、頂くほうの側がね、一つ、本気で、それから頂こうという願い。または、そういう姿勢を作らなければね、おかげにならないと思う。こりゃもう、どうでもですね。そういうその、熱心な頂き方でないと、良い、そのおかげになってこないように思いますですね。何か、御理解を頂いて、はぁほんにそうだったというのが、一日の軸になり、芯になって、そすと、それがおかげを呼ぶというおかげでなからなければね。お願いをしたから、おかげを受けたという事もですけれども。やはり、分からせて頂いて、おかげを頂くというおかげになっていくためにもね。まぁ一つ、まちっと、合楽のお話を、もっともっと素晴らしく、いうなら、評価して貰いたいと。そら皆さん、そう思うておられるですけれどもね。けれどもその、もっともっと、それを、例えば、何時か私はあの、総代さん方に、正月を来て頂くんです。正月の七日ですか、五日ですかね。時にあの、何人か見えない事がございました。それで、私があのね、申しましたんですよ。これがもし、当時の三代金光様、金光様から、正月の御招待を、しかも教会の内の何人かが受けたら、もうそれこそ、威儀を正して、紋付き袴で、それこそ、前の日からでも、その招待に応じるだろうけれどもね。大坪総一郎が、あんたどんが招待しとると思うから、来れなかったりするんだと。問題は、そういう頂き方なんです。大坪総一郎が話しておるんだと思うたら、確かに、神ながらの話と思うても、頂き方が、そういう粗雑な事になってくるですからね。いわゆる、金光様のお話と頂けれるような、やはり、受け方、姿勢がね、大事だと思うですね。どうぞ。